福王寺について

福王寺縁起

嵯峨天皇の御代、弘仁2年(811)に弘法大師によって開基されました。その由来は、諸国修行中の大師が当山に登られた折、林の中の一樹に一丈有余もある不動明王像を彫られたのが始まりとされています。
この時、池に棲む金色の亀が水中から浮かび出て、大師に礼拝したことから当山を金亀山と称し、また後に淳和天皇から事真院福王寺の号を賜ったことに因んで、金亀山福王寺と名づけられました。

堂塔伽藍は淳和天皇の建立によるものです。こうして開基されて以来、盛時には大毛寺、綾ヶ谷、九品寺を寺領とする霊山勝地の道場として山上に12、山麓に48の坊寺を連ねるまでになりました。
一時衰微の兆しがみえていましたが、正和4年(1315)に禅智上人によって見事に中興されました。その時、福王寺の住職が朝廷にお伺いを立て、この福王寺に東寺の仏舎利並びに大師の御真影を移しました。
それから、代々の帝からの尊敬は厚く、足利尊氏公は五重塔を建立し、足利満政公からは御教書を賜り、毎年、四季天下安全の護摩供養修行が恒例となりました。

その後、一時荒廃しましたが、当国守護の武田伊豆守氏信卿の尽力によって今日の姿に再興されました。