参拝のご案内

01.仁王門

福王寺金堂を背にして建ち、門の中が通路で、両側に護法の立役者金剛力士像が一対安置されています。この仁王門は安土桃山時代の建築で、福王寺に現存する最古の建物と言われています。仁王門の前面には有部律の再興を記念して二本の石柱が建立され、福王寺第26世学如和尚の書で、左側には「天界外相」、右側には「不許輦酒内山門」とあります。門の右側には滝行場があります。門近くの参道に而して表裏とも青色のシダが群生しています。表裏のないところから、福王寺のシダのようになれ、と教えられていたと言われています。

02.金堂

天長年中(824〜833年)、この山に弘法大師が登られ、不動明王の姿に似た1本の大木を見られ、これに不動明王の肖像を刻まれました。昭和52年9月3日の落雷による火災で金堂は消失、ここに安置されていた「立木仏・不動明王像」や多くの仏像、「さざれ石」も焼けました。このため、昭和56年に福王寺山の桧80本余りを使用して現在の金堂が再建されました。
また、京都の仏師松本明慶氏により「不動明王坐像」が造仏されました。高さ3.4mで坐像としては日本最大級です。この仏像の中には、先の落雷による火災で焼けた不動明王像が胎内仏として納められており、その後ろには千体の小不動明王像が坐像を取り囲むように並んでいます。毎月28日の縁日には大日不動明王護摩祈祷が修行されています。

03.阿弥陀堂

1851年(嘉永4年)の再建で左右回廊を連ねて金堂、客殿に至り、阿弥陀如来を安置しています。裏堂には自佛堂が配置され、歴代住職の位牌が祀られています。

04.大師堂/御影堂

1708年(宝永5年)の再建で、宝形造り・銅板葺き・総檜造りです。弘法大師御真影(真如法親王作)が祀られています。毎年、春の大祭(4月第3日曜日)に御開帳されます。

05.熊野三社権現

1707年(宝永4年)の再建で、権現造・銅板葺き拝殿及び神殿があり、当山の鎮守で熊野三社権現をお祀りしてあります。その全面左右に稲荷堂と金毘羅堂があります。

06.鐘楼

1927年(昭和2年)、第34世 吉田恵光和尚により再建されました。

07.金亀池

弘法大師が全国を巡錫(じゅんしゃく)中、高い山から光り輝くものが目に留まり、光を目指して山に登ると頂上近くに周囲200mほどの池がありました。大師が、しばし水面を眺めていると、水中から金色の亀が浮かび上がり、大師の足元近くに寄り一礼して去り、このようにすること三度、つまり三拝の礼をもって大師を迎えたのです。大師は「奇瑞(きずい)よのう」と仰せられ、この池を「金亀池」と名付けられました。
池のほぼ中央に浮かぶ弁天島(厳島とも言う)には弁財天が祀られています。
1889年(明治22年)5か村合併時の新村名を「金亀山」の「金」を外して「亀山村」に決定したと「亀山村沿革誌」にあります。

08.燈明杉

仁王門(山門)を通り、53段の石段を上ると右側にあります。この杉は、1391年(明徳3年)、武田氏が本堂再建の際、住職良海之を植えたとの記録があります。杉は5本植えられましたが、1982年(昭和57年)に1本が倒壊の危険にあったため伐採され、さらに1本が枯死したため、2004年(平成16年)に根本から2.2mを残して伐採され、現在は3本です。
その高さは37mと言われています。かつてこの地方に疫病が流行し、住民がこの杉に燈明をあげ祈願したところ疫病がおさまり、以降、燈明杉と崇められています。

09.武田氏信供養塔

祇園武田山の銀山城初代城主、安芸国守護職武田氏信の供養塔は、金堂と御影堂を結ぶ渡り廊下を通った所に「銀山城主初代武田伊豆守供養塔」と書かれた標示柱があるのですぐ分かります。「福王寺沿革誌」によると、1313年(正和2年)、荒れ果てた福王寺の堂舎、御影堂、仁王門、熊野三社などを再建されたとあり、それには、河内の国から福王寺に来出し、福王寺第1世になる禅智上人の協力者として、武田氏の守護が背景にあり、20余年の歳月を要して再建されたとあります。寺宝の「さざれ石」にまつわる伝承にも氏信に関するものがあります。

10.学如和尚の墓

先住墓所の中にあり、正面に向かって左から2番目にひと際大きい一基があり、これが福王寺第26世、中興の学僧として知られる学如和尚の墓です。花岡岩で造られた総高2.3mの4段で、四角の各面には和尚の業績が刻まれています。学如和尚は、1716年(享保元年)11月14日に生まれ、13歳で福王寺に上り仏学を学び、さらに京都で学びました。
1751年頃帰山して福王寺第26代住職となりました。学如和尚の努力、真価が認められ、有部律三大道場の一寺として公認されました。学如和尚は、1773年(安永2年)5月11日に入寂されました(58歳)。

11.八十八番霊視所

第1番札所から金亀池の概ね山頂を時計廻りに八十八の各本尊が安置され、順路を巡ると最終の第八十八番札所は御影堂の近くに帰着します。

12.手水鉢

金堂右側に弘法大師を祀る御影堂があります。その一角に「霊場八十八か所めぐり」の第1番札所があり、その下側に幅70cm、高さ50cm、奥行き40cmの花岡岩の「手水鉢」があります。正面に金亀山、横に元禄11年戌寅(1698年)と彫ってあり、一般に古いものは底が平らであるが、これは繰脚となっています。
この手水鉢は、最初からここにあったものではなく遍歴の末ようやく福王寺に戻ったものです。元は可部町綾が谷の通称小南原から登る大師坂の上り口、黒門の所に置かれていました。

13.石垣

燈明杉から阿弥陀堂に至る石段に積まれた石垣は、「布積み」で、隅角は立石が積まれ、可部の熊谷氏の土居屋敷、菩堤寺である観音寺の石垣と同じ積み方で、16世紀後半に積まれたものであろうとのこと。
ちなみに、広島城の石垣で、福島城主の時代は「算木積み」と言われている。

福王寺の年間行事

毎月 本尊不動明王 護摩祈祷祭 28日 午前11~12時
1月(正月) 初祈願 1月1~5日まで
初護摩 1月1日0時より
2月(節分) 星供養 詳細はお問い合わせください。
4月 福王寺大祭
[柴燈護摩・火渡り・諸堂御法楽・不動明王千体仏祈祷・
八十八ケ所お砂踏み]
第3日曜日 午前10〜15時
10月 福王寺 音楽祭 中旬(詳細はお問い合わせください。)